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夢があらわす無意識のメッセージ

夢は、これから起こる幸運の出来事を予告します。しかし夢の中では現実の世界とは違う抽象的なメッセージとして私たちに伝わります。私たちはみんな夢を見ます。しかしほとんど正確に思い出すことができません。覚えているのは夢の中の特に印象的な部分か、急に起こされた時にみていた部分です。


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ここではリリアン・トゥー自信が見た3つの夢を例にとってお話しします。1つはリリアンがチベット仏教を信仰するきっかけとなった2頭の白虎の話、そして1月にとても安らかに眠る中で2夜連続で見た、今後起きるであろう幸運の出来事を象徴する夢の話です。
夢は精神の深い内面の意識を表すものです。私たちは睡眠中に意識が休止している時、自由な状態となった内面の潜在意識が夢としてあらわれ、それを意識がとらえている、ということです。

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2頭の白虎
12年ほど前に2頭の白虎が出てくる夢を見ました。その夢は驚くほど細部まで鮮明に記憶に残る夢でした。
目覚めた時、隣に白いふさふさの毛の大型の生き物の気配を感じながらゆっくりと起きましたので、予知夢だと直感しました。
夢は白い虎が大きな木に登るところから始まりました。私は木を見上げ、娘のジェニファーに「ジェニファー、白虎が木に登っているわ!」と言いました。
ジェニファーが返事をする前に、白虎はしなやかに着地し、私のかたわらに座り、じゃれてきます。信じられない光景です。私は大きな獰猛な虎を見てもまったく怖いと感じません。じゃれてきた白虎に私の手が触れる前に、ジェニファーが言います。
「ママ、木を登る虎がもう1頭いるわ!」
その声に反応し、見上げると、確かにもう1頭の白虎が木の上にいました、という夢です。
私は周囲の人たちに夢のことを話しましたが、誰ひとりその意味深な夢について、確からしい説明をする人はいませんでした。
それから約1年後に、私はチベット仏教のお寺で絵画の中に夢にあらわれた2頭の白虎が描かれているのを見るまでは、私自身にも意味がわかりませんでした。
その絵は、ネパールの首都カトマンズのお寺で僧侶の後ろに飾ってありました。僧侶が私の無意識に対して、出会いの準備をしてくれたのだとその時にわかりました。
そしてその木にも意味がありました。木はチベット仏教の中で偉大な指導者をあらわします。
あなたが次に夢を見たときに、いかにも予知夢的で気になったとしても、勝手な解釈をせず、ただその後に起きる出来事を待つのが良いでしょう。

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金魚でいっぱいの川の夢
私はラスベガスから戻った夜にジャングルを流れる川の夢を見ました。時差ボケもあり、体は疲れていましたからとても深い眠りでした。ゆるやかにカーブした川を大きな太った金魚が泳ぐ夢を見ました。
私は「ありえない。金魚は川で生きられない!」と首を横に振りました。しかし金魚は幸せそうに川で泳いでいました。川のどちら側から見ても非常に多くの大きくて、丸々とした金魚がゆっくりと川を泳いでいます。そのうち川は金魚の赤や銀の色でいっぱいになりました。そこで私は「これは夢なんだ」と悟りました。
幸運な夢でしょうか?もちろんです!金魚は豊かさをあらわす風水のシンボルの1つですし、また、川を健康的に泳ぐ姿は、たくさんの目標が達成できる幸運のしるしと考えられます。どんな意味であろうと、その夢の中で私はとても幸せな気持ちでした。

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マージャン高得点の夢
私は他にもすごい夢を見ました。信じる信じないは別として、麻雀の夢です。私はゲームの最中で、素晴らしい手の状態です。すでに緑色の「ハツ」と赤い字の「チュン」が3つ揃っているポンの状態で、白(ハク)を待っている状態。その牌(ぱい)が1つ揃えば大三元(だいさんげん)という大勝利目前。私は次の牌をツモりました。何だったと思いますか?まさにその待っていた白い牌だったのです。大勝利です。
これは麻雀をしない人にとっては、何のことだかわからないかもしれませんが、しかしとても幸運な夢だったということは理解していただけるのでは、と思います。
私はもう麻雀をしなくなって35年経つので、麻雀の夢を見るのは変な感じです。でもここ数ヶ月、孫のジャックに中国語を教える時に麻雀を使いました。ですので、金魚の夢を見たすぐ翌日の麻雀の夢は孫のジャックに関係しているのかもしれません。きっと私たちはクジで大当たりするのでしょう。楽しみにその日を待ちます。

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